野狐禅解散。


拝啓、野狐禅殿。


先週の土曜日に、妙に「野狐禅」の音楽が聴きたくなった。
iPodにはアルバムのすべての曲が入っていて、一番目の曲は「ぐるぐる」。
次は「東京紅葉」。次は「カモメ」。次は「少年花火」。
野狐禅の曲たちは「男のやるせないエネルギー」が籠っていて、
若干汚れていて、若干粗野で、若干愛らしい。
こないだのライブを見て、自分の中で生活のBGMの確固たるものになった。
音楽を聴いて「悲しくなって、倍励まされる」曲なんてこの世には少ない。
「生きてもねぇのに死んでたまるか」って言葉はいつも頭の奥底で渦巻いている。


家に帰って、2ちゃんねるのニュースを見ると「野狐禅解散のお知らせ」の文字があった。
「えっ」と言ったまま、喪失感が怒涛の如く背中を流れた。
すぐさまボーカルの竹原ピストルのブログをチェックする。
間違いなくホームページと同じ文面が並んでいた。


幼稚な歌詞がまるですべてを悟りきったかのように堂々と
メインロードを闊歩する世の中で、「美しくもあり雑でもある」歌詞は衝撃だった。
初めて彼らを見たのは確か「HEYHEYHEY」に「初恋」という歌を歌っていた時だと思う。
そこらへんを歩いているようなジーパンにTシャツの姿。下手な愛想笑い。
でも、歌を歌っている彼らには自信と輝きがあった。華やかさはないけれど厚みがあった。
僕が改めて聞き出したのはいつだっただろうか。
過去に撮りためていたビデオテープの編集作業中にあるCMが流れたときだ。
かすれた野太い声が映像の奥に流れていた。
青を塗って 白を塗って
「カモメ」のワンフレーズだった。
すぐにネットで調べて、アルバムとシングルをネットやCDショップで探しまくった。
網場というところの、海が全面に見える景色で「カモメ」を聴いてみた。
泣きそうになった。いや、もう溢れそうになった。
音楽が「泣いていいさ」って言ってくれているようだった。


そのうち、FMの番組「松本人志の放送室」で松本人志自身が、
「そういえばいいたいことがあんねん」と野狐禅のチェックをしていることを
トーク内で言った。「ああいうのが売れんとあかんねん」と。
共有できた喜びと野狐禅も喜んでるんだろうなという気持ちで何回もリピートして聴いた。
ちょうど野狐禅は事務所を辞めていた。ブログを読んでいると喧嘩別れでないことはわかった。
暗中模索しているときにいい光明ではないかと思った。
でも、竹原ピストルのブログでそのことは取り上げられなかった。
それは照れなのだろうと思っていた。でも今から思うとそうではなかったのかも知れないなと思う。


彼は「野狐禅であることができないもどかしさ」を語る。
自分の中で作ってしまったものがあまりに大きいものになってしまった苦悩。
今言いたいことはそうではなくて…。という苛立ち。
譜面台を置くことによる視線の集中。
それに対して僕らは憧れの目を注いでいたというのに。
つらいなぁ。それは。
解散を受け止めることは今でも出来ない。
ブルーハーツ」から「ハイロウズ」になって「クロマニヨンズ」でもいいじゃないか…
とまで言いたくなる。でもそれは性に合っていないのだろう。


仕方ないことが多すぎる。エゴが強いのだろう。切ないことが多すぎる。
解散コンサートと銘打つのを避けたのは観客にフラットな目で見て欲しかった
からだそうだ。いや、それ以前に解散を引き留められることが怖かったのだろうと思う。
何となくだけれど、それはわかる気がする。
自分自身が間違いなく止めていた観客の一人だったから。
今週はヘビーローテーションで聴きまくるに違いない。
来週はわからない。人間ってそんなもんだから。
でも、iPodのプレイリストは野狐禅から始まるのは間違いない。