Kの壁(2)

今回もいうが、これはフィクションだ。極論のような表現も
全てフィクションである。抜粋することは不可である。
とても熱意のこもった独り言と思ってのんびり見て下さい。
                       
僕はKの壁のそばにいて、
たまにその壁を通りすごした人間を目の当たりにする時があったりする。
そのとき、僕はとくに何も考えないようにしている。
たまに片足だけ越えて見たりする。重心をそっちに持っていかないぐらいに安全に。
たまに恍惚感で胸がいっぱいになったりする。
たまに吐き気ばかりがするときがあったりする。
どうしようもないことなのだ。危険な遊びにはかわりがない。
でもそれをするのには一人では出来ない。
倫理は一人で成り立つものではないからだ。
それを目視できる人間が必要なのだ。超えることを認める人間が。
                               
その人間からしたら、僕は掃き溜めのゴミよりも汚く、
鋭く研ぎあげられたナイフよりも鋭いのだろうと思う。
実はその人間は本当の僕をそれでしか知らない。
名前も年齢も生年月日も住所も、全部知らない。
存在しか知ることがない。
僕は出来るだけその人間を現実に引き込みたくはある。
でも、そんなことは許される余地がない。
仕方のないことだから、あまり考えないようにもしている。
                                 
前回語ったことで、もしKの壁を通り越すことが出来たら、
自分で自分が心配になりそうなので、
現実的に対処していきたいと思う。脅しなんかしないさ。
                                  
「寒いので夜道は歩かないほうが良いよ。その手動かせなくなるかもね。
ああ、たまに家の周りは見たほうが良いよ。
暖をとる人間がいるかもしれないから。
あと、子供さんがいたら変な奴がいるかもしれないから気をつけなよ。」
                                       
勝手にKの壁を越えさせるのはいとも簡単だ。
壊されたことがある人間が人を壊すのは悪意すら感じない。
逆に快感である。もっと壁の向こうまで引きずって行ってやる。
人は死なないほうが地獄を味わうことが出来るから。
オイルはいっぱい撒かないほうがいい。ほんの少しで火は点くのだ。