大阪にて。三、天国と地獄 世間が重い。

飛田新地から新今宮駅の方に向かう。
風景が突然変化する。いきなり昭和30年代にタイムスリップしたかのよう。
飲み屋からデカイ音量で酒焼けしたババアの演歌が聞こえる。
匂いが埃っぽさとホルモンの匂いで充満している。
パチンコ屋にゲームセンター。歩いてくるのは力をなくしたかのような
小さく細身の中年ばかりになった。作業服に薄汚れたシャツ。
オプションの付いていない素の自転車ばかりが並べられている。
     
駅の方からの人の流れがやってくる。大阪の割にはゆっくりした
ここは「釜ヶ崎」である。マスコミでいうところの「あいりん地区」ある。
ドヤとよばれる簡易宿泊所があちらこちらと並んでいる。
ここでは1500円あればいいドヤで一晩過ごすことができる。
見た中では850円ってのもあった。価格破壊といえば聞こえはいいかもしれない。
僕は作業着だったので、あまり人間は怪訝な顔をこちらに送ってこなかった。
壁にはボランティアの文字。偽善でも空腹よりはマシなのかも知れない。
たまに炊き出しがあるそうだ。宗教がらみの炊き出しはとても鬱陶しいらしい。
それに不味いとのこと。食べきらずに残す人間もいるそうだ。
           
道端でションベン垂らしながら座り込んだオヤジ。
飲み屋の中から罵声が聞こえる。何に吠えているんだろう。
冷たい他人にだろうか?抜け出せない自分にだろうか?
シャッターの閉まった店先で死んだようにうつ伏せで眠るオヤジ。
ギリギリの力でたばこを口にくわえ、死んだ眼でどこかに歩いている。
歩道で信号待ちしていると、数m横で「袋ラーメン」が路上に飛んできた。
喧嘩か取り合いかはわからない。僕は振りかえらなかった。
        
「僕も彼らの生きたい気持ちがわかる」と理解している。
一歩間違えれば僕もここの住民になっていたに違いないから。
生きていくエネルギーが周りの流れよりも遅かった時がある。
そんな時期が僕にはあって、僕は長崎に逃げたんだ。
何となく路上の冷たさはわかる。体の熱を全て取り去ってしまうくらい冷たい。
          
今の僕は幸せなのだろうか?いや、「幸せではない」。
でも、「この地獄には堕ちていない」。それは幸せなことなのだろうか?
この街では世間が重い。いや、本当は「世間は重たい」のだ。
新地とここの温度差は今始まったことではないが、
水と油みたいに交わらず、地下では金の相互関係で成り立っている。
僕は逃げるようにJRの駅に飛び込む。
いち早くビジネスホテルの柔らかすぎるクッションに横になりたかった。
老人が立っていようと席を譲らないこの街は、
僕にはあまりに個性が強すぎて、気分が悪くなった。