ギリギリ、いやもう超えている話。

今日も雨でした。午前中は豪雨でした。午後はどんよりとした曇り空。
僕は雨の中で仕事をせざるをえず、なんとなく体調が悪い一日です。
どうも雨に濡れると体は熱を発するらしく、その発熱が体力を奪うみたいです。
妙に眠たくなるんですよね。まるで強い風邪薬の副作用のようです。
    
僕は「ある人物」が「こういう」発言をした、
なんて新聞報道はあまり気にしないようにしているのです。
話の全体像が分からないと、切り取り&ペーストした文章では意味が分からないのです。
TBSなんか「何々ない」ってのを編集して「何々」だけを放送するぐらいですから。
確かに今回の久間氏の発言は確かに軽率だったことでしょう。でも追及の仕方が野党的で、
その上、久間氏の弁解も語彙が貧しいゆえに味方からも地元からも追及され、
どうも情けなくグダグダになった感が否めない話です。
この話題は長く話される話題ではないなと思ってます。深い話ではないですもん。
    
ここからは極論かもしれません。間違いだとも思います。でも一応聞いてみてください。
僕は長崎市民ですが、「高校生一万人署名」にも壁をおいています。
彼らには発言権はあってはなりません。あくまでも「仮想の発言」でならなければいけません。
一万掛けゼロの話なのです。そのうえ、彼らの発言に大人が関わってはいけません。
そうしないと市民運動を未成年に行わせる恐ろしい団体に変貌しかねないからです。
もう少し彼らの話には空想性を持たねばなりませんし、
害のないものすごい平和な運動にしなければならないのです。未成年ですから。
未成年イコール弱者の構図にしてはいけないのです。わかりますか?  
それは恐ろしい理論の入り口に立ってしまうことになりかねないのです。
僕はもう遅いのではないかと考えています。ただ救われるのは、彼らが高校生という
3年周期のくくりにしていることです。一旦点った火は3年で消えるのです。そうであらねばならないのです。