2人の顔が春の宵を曇らせる。

犬は坂道から長崎港を見ていた

長崎は今日も暑かった。というか、昨日の朝の霧雨の湿度が抜け切れずにいる蒸し暑さだった。日差しも夏を思い出させるほどの強さで、ここ数日で腕は日焼けの跡で黒くなりつつある。この日焼けの跡の悪いところは夜ぐらいになるとジンジンと熱を持ち、睡眠を妨げるところにある。その上、ここ最近の仕事内容が荷物を運び出したり運び入れたりの重労働であり、坂道の往復は体力さえも削り、単純作業は精神をスカスカにした。
とは言えど、おとといは家のすぐ近所にある長崎港の松ヶ枝埠頭でサファイアプリンセス号が来航し、写真を撮る見物人や船からやってきた乗員が賑わっていた。蒸気が立ち上り、汽笛が響く。そんなに珍しい光景ではないのだが、やはり長崎という港町の一遍を垣間見ることの出来る瞬間である。
今朝の話。
午前9時ごろ、けたたましく救急車のサイレンの音がした。どうやら近所に止まった模様。1分もしないうちに担架を担いだ救急隊員が目の前の坂道を駆け上がっていく…数分後に運ばれてきたのは40代の女性で、酸素マスクをあてがわれていた。顔色は真っ白で、反応もなく担架の揺れに身を揺らしていた。実を言うと、今日の仕事は家の近所で、今救急隊員が登っていった道は毎日通う通勤路。。その運ばれていった女性は顔見知りではないようだが、多分この道で出会ったことがあるかもしれない。その後、一人の救急隊員が老女を連れ添って、その道を登っていく。「大丈夫なんですか?…心停止ですか?」と老女は隊員に鬼気迫る顔で尋ねていた。隊員は回りくどくも説明をしながらショックを与えないように説明していた。
僕は荷物の運搬をしていた。汗が額から首元を伝う。左の肩が荷物の重みで腫れている。休憩をしようとお茶を飲んでいるとき、その老女と隊員に付き添われ道を下りてくる2人がいた。一人は10歳ぐらいの女の子、もう一人は7歳ぐらいの男の子だった。二人ともうつむいて、涙をためていた。運ばれていった女性の子供たちであろうことは目に見えて明らかだった。隊員が「大丈夫、大丈夫」と励ましていたが、2人の顔は悲しみに歪み、赤くなっていった。その2人の姿が消えるにつれて、彼らの切迫した不安が僕の心を包み込んでいった。周りで仕事をしていた人間もそうであったという。あれからどうなったのだろう…。

尖閣諸島は渡さない?いやいや、いきなり「俺のものだ!」って言ってきたのはあんたの方だろう…。中国はチベットを独立させないために武力で制した。今度は市民扇動か?…プロパガンダは常識さえも踏破してしまうのか…。