偶像。

最近、みてない青い空。

どうも、お久しぶりです。風邪のお陰で1ヶ月ふいにされました。いやはや、微熱が3週間引かず、咳のせいで体力を衰えさせ、再帰して5日目ですがメチャきついです。
今回は少し真面目にお話させていただきます。
僕には偶像があります。もう、その偶像を造って何年経つかも分かりません。でも、未だにその偶像を讃え、かつ忌み嫌っているのです。それはある女性で、僕が好きだった人でした。その人のためなら何でも出来そうでした。でも、それは叶わぬ夢となりました。僕は何も出来なかったのです。何も。あのドアの向こうに誰がいたのか、何故に何も言わなかったのか、思いを覆す行動に出たのか…それは今では僕以外に誰も覚えていないだろう。そして、僕はある日、彼女を偶像化した。僕はそれまで遊びほうけていた。それを打ち消すために偶像化したのだ。彼女のためなら何でもできたのだ。それは罪なことだと思う。僕はそのために苦しみ、憎み、打ちひしがれることになるのだから。でも、初速度はその偶像からだった。
未だに僕はその偶像が離れない。虚しくなると、空を見上げ名前を呼ぶ。それは癖のようでもある。そして、問いかける。僕はどうすればいいのだろう?と。もうそれは奈良の大仏のように巨大になり、僕の中に生き続けている。僕は森山直太郎の「レスター」のように自分の中で殺すことが出来なくなっているのである。そのままでいいのだろうか?いや、いつか殺す日が来るのだろうか。忘れるようなことが今後あるのだろうか?
違う話になるが、去年の夏に亡くなった山下ごお氏のことを突然思い出した。風呂に入ったあと、バスタオルで髪を拭いたときに「じゃあ、ごおちゃんて呼んでね」って言った彼を思い出したのだ。去年の8月13日、松浦市の彼の自宅を訪れたとき、彼の奥さんや親類の方々がにこやかに対応してくれたこと。香典返しのボールペンは大事に取ってあります。あの遺影の写真は最高にかっこいい写真でした。そのうち、お墓に参りに行きます。がんばっちゃおうかな、ごおちゃん。